田村さんのモンゴル紀行

田村秀男さんは、ある有力新聞社の幹部で、米国やアジアの事情に詳しい私の尊敬する親しい友人です。去る7月招かれてモンゴル共和国に行かれ英語でスピーチをしてこられました。

モンゴルに対する田村さんの温かい心、日本の納税者が納得する経済協力の必要、往々にしてハコモノ援助と批判されてきた日本のこれまでの対外経済協力からの脱皮、環境や国際社会との共生・共働をこれからのモンゴルの開発発展の基本戦略とすることの提案などを示しておられ、大変参考になります。

なお、田村さんと連絡を取ってみたい方は、info@civex.orgまでご一報下さい。田村さんに、メールを転送いたします。

1999. 8.5 七尾

日本の対モンゴル経済協力の拡大、発展について

  1. 日本とモンゴルの共通性――エコロジー重視

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  3. 日本の経済協力――人的貢献、技術支援

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  5. 産業には限界

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  7. 求められる新発想――国際メトロポリス、国際エコロジー・センター

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  9. 国際協力の重要性

モンゴルは今がちょうど観光シーズンです。外国からの観光客の5割以上が日本人だと聞いています。モンゴルの自然、風土、それに歴史はなぜか、島国育ちの日本人を惹きつけてやまないのです。

 この日本のモンゴルに対する親近感はどこから来るのか。日本の歴史作家である司馬遼太郎さんの影響があるかもしれません。彼は「モンゴルの人々ほど欲のない民族をみたことがない」という意味のことを書きました。経済学の教科書では市場経済は人々の欲望を前提としているので、司馬さんの言う通りだとしたら、モンゴルの市場経済化には疑問符がつきますが。冗談はさておき、英雄、チンギスハンの伝説は日本人にとってもロマンに満ちており、旅慣れた日本人も一度は訪れてみたいと考えているのです。

 実は、モンゴルと日本には共通性があるのです。日本は周囲を海に囲まれた海洋国家です。海が豊かな自然と無限の移動の自由を約束してくれます。モンゴルはこの日本人の目から見れば、大陸の海、大陸の海洋国家です。砂漠や山岳地帯があるとは言え、勇敢なモンゴルの人々は少しも苦にしてこなかったのです。大草原が自由な移動を保証してくれます。中国もロシアも中東、欧州もこの大陸の海でつながっているのです。モンゴルが世界帝国を築けた条件のひとつは大草原という海なのでしょう。

 モンゴルに対する日本人の親近感もひとつの要因となって、日本はモンゴルの最大の援助国です。経済協力総額は約120億円に達しています。日本政府は対外援助を10%削減する方針ですが、モンゴルは削減対象からはずしています。

 しかし、政府開発援助と言うのは親しい国だから単に資金を出せばよいというものでは長続きしません。相手の国の経済社会が発展、安定するために協力するという建前はもちろん大事ですが、問われるのは成果と効果です。成果、効果とは達成目標があってこそ測れます。日本の政府開発援助については日本国内世論から近年特にその効率を問う声が高まっています。日本国民は長引く不況と膨れる財政赤字の二重苦にあり、特に政府部門の仕事に対する世論の目は厳しいのは当然とも言えましょう。無原則に援助してもかまわない、政治家や官僚にまかせておけばよいという時代は終わったのです。

 さてこの日本がモンゴルに経済協力する場合に、一体どういう可能性を追求しているのでしょうか。

 日本政府の援助方針は

  1. 産業基盤振興のための経済基盤整備
  2. 市場経済移行のための知的支援・人材育成
  3. 農業・牧畜業支援
  4. 基礎生活支援
――の四本柱です。

 日本の対アジア向け経済援助はこれまで道路、電力、電気通信などいわゆるインフラストラクチャーの整備に重点がおかれてきました。基本的にはアジアの人々の高い教育水準、勤勉さ、高い貯蓄率などがアジアの奇跡を実現したわけですが、インフラ整備が呼び水となり、民間直接投資が活発化しました。日本のモンゴル援助の実績をみるとやはりインフラ整備が最重点になっています。その点では従来の対アジア援助の延長線上に位置付けられています。

 モンゴルの場合はしかし、インフラ整備が基本となった他の東アジアのような発展過程がそのまま再現するとは思えません。その理由は簡単です。何よりも人口が少なすぎます。日本の国土の四倍で人口はわずかに240万人で、日本の四十分の一以下です。アジア開発の原動力になったような労働集約型産業がモンゴルを引っ張るとは考えにくい。もちろん、モンゴルには豊かな鉱物資源があります。インフラが整えばこれらの産業の国際競争力も向上するでしょうが、金や銅の輸出で国を富ませるには現在の国際商品市況は悪すぎます。当面、知的支援、農業・牧畜業支援により大きな重点を置くのは当然でしょう。

 ところで、アジア危機は経済開発の点で大変な教訓をアジアにもたらしました。つまり、プロジェクトに次ぐプロジェクト、資金や設備の投入に次ぐ投入という量的積極投入路線の限界です。いわゆるバブル現象は不動産や株式市場なら経済の回復は早いかもしれません。若い経済の市場というものは崩壊のあとの復元力にも若さがあり、回復は早いのです。ところが東アジアは膨大な過剰生産能力が表面化したのです。世界市場が早いスピードで拡大しているうちはこの過剰を吸収できるのですが、世界経済の減速傾向は長期化しています。東アジアの株式市場は確かに回復してきましたが、経済実体は大きな不安要因を抱えたままなのです。アジアはアジア危機を機に新思考を迫られています。幸いなことに、その点、モンゴルは遅れて市場経済に移行している分だけ、危機の傷は浅く、他のアジアの国や地域の開発問題の教訓を生かした国づくりが可能です。それには独自の構想が必要ではないでしょうか。

 従来型のアジアの経済開発が必ずしも参考にならないのであれば、モンゴルは他にモデルを探さなければなりません。人口が希薄ななかで成功した国や地域にはたとえば北欧のフィンランドやスウェーデンがあります。この北欧の特徴は、隣接した国々との安定した友好関係はもちろん、人々は見事に自然と共生し、美しい国土を保全しています。しかし、最大の特徴はきわめてユニークな多国籍企業がこれらの国々で生まれ、米国、日本、他の欧州の企業と比べて大変強力な国際競争力を発揮していることです。母国の市場規模が小さいのは競争力に富んだ産業を発展させるうえで不利になるのですが、人々はその障害を克服したのです。

 北欧の成功は何を意味しているのでしょうか。一言で表現すると、グローバルな共生です。グローバル・パートナーシップです。他の国の企業や人々との幅広いパートナーシップを築きあげる。北欧は外交や国際関係のでの活躍もめざましいものがあります。自然との共生も21世紀の最大の課題となった地球環境問題を考えると、グローバルな共生の重要な要素と言えます。

 日本政府の対モンゴル支援の四本柱自体に異論をはさむつもりはありませんが、ここで強調したいのはこれらの柱を生かすための基本的目標、思想です。それはモンゴルがアジアの北欧になる、あるいはグローバルな共生を達成するアジアのモデルになることです。

 冒頭で申し上げましたように、モンゴルの人々は見事にその遊牧の伝統から自然と人間の共生を学んでおります。モンゴルの人々の言い伝えによるとチンギスハンは絶対に木を切ってはいけないと厳命したそうですね。森林が破壊されると人々の生活にしっぺ返しが来ることをかの英雄はよく認識していたのです。馬や羊を次の牧草地に移動させる遊牧も草原を砂漠にしないための知恵なのですね。気候条件の厳しいこの土地でいったん森林や草地が破壊されると容易に復元できないのは、中国で広がった砂漠化をみてもあきらかです。

 インフラ整備についても、単に高速道路を建設するというのではなく、環境破壊を極力避け自然との調和に十分配慮しなければなりません。

 産業振興で私が提案したいのはエコロジカル観光の開発です。人が介入しても人々の生活が自然の一部になっていても、世界一透明度の高い湖や汚染のない空気というものを維持できる観光開発を考案することはモンゴルでは可能ではないでしょうか。自然とは何も人間を寄せ付けないから守れるというわけではありません。モンゴルの大草原をよく観察してみますと、実におびただしい数の家畜の骨の断片が散らばっていることに気づきます。この大草原が実際は移動する家族と家畜の群れと共存してきたことの表れです。遊牧せずに人々が独自の牧場に定住して、家畜を増やして富を増やそうとして競争していれば、この草原は荒地になったことでしょう。ゴビ砂漠だって草地がところどころにあり、馬が自由に動き回っています。アラビアやサハラ砂漠とは違って人も生活できる豊かな砂漠なのです。人間の生活を自然生態系の一部に取り込む知恵をモンゴルの人々はもいるのです。

 知的支援の意味はもともと旧ソ連のように、社会主義に慣れて市場経済というものの経験がない国に対して市場経済制度を教え込む、ということです。このこと自体は否定すべきではありませんが、市場経済化にはそれぞの国のやり方があり、単に教科書通りのことを実行しても成果が上がるはずはありません。他の国々の人材とじかに接して独自の方法をモンゴルの人々が編み出していく必要があります。

 そこで提案したいのは、モンゴルの国際化センターの設置です。各分野の世界の専門家を集め、モンゴルの経済開発、特にエコロジカル観光開発、民営化問題、外国語研修、農業・牧畜業研究交流、グローバル環境問題などを総合的に考え、政策立案する国際センターです。もちろん、このセンターはモンゴル政府に政策提言しますし、他の国や国際機関に発信します。なぜこの「国際化」ということにこだわるかと言うと、モンゴルの歴史を考慮したからです。モンゴルは帝国の時代には、カラコルムでも今の北京に首都を置いたときでも、世界 から人材を集め、国際メトロポリスをつくった実績があるからです。この場合、日本は日本人の専門化やNGOを送り込むという発想ではなく、あくまでも国際社会にも門戸をひろげる必要があるでしょう。もちろん、言葉は英語と並んで日本語の教育に重点を置きます。より多くのモンゴルの人々が日本語を駆使できることは、観光、ビジネスなど多くの分野でモンゴルの利益になると思います。

 いやハイテク産業の立地が欲しい、と多くの人々が願うかもしれません。しかし、何も半導体チップやパソコンを組み立てることだけがハイテクではありません。ハイテク技術を考案し、設計することが本当のハイテクです。それには目標と人材が必要です。モンゴルはエコロジーをハイテク研究の柱に据えてみればいかがでしょうか。自然と人間が共生する最適なシステムや都市の開発、また風力や太陽光を利用した発電技術開発、汚染物質の生態系への還元など世界が必要とする多くの課題と取り組むセンターがモンゴルには設置可能ではないかと考えるわけです。寒さに強い作物やより品質の高いカシミアを提供するヤギのDNA開発などバイオテクノロジーの研究も現実的です。

 モンゴル経済はまだまだ貧しく、人々の生活を支援することが先決だと考える人々は多いでしょう。その通りです。しかし、経済支援というものは豊める者が貧しい者を救済するチャリティーの思想から脱皮すべきときにきています。誇りある人々に慈善はときとして侮辱になります。経済支援はあくまでもその国の人々の自立につながり、しかも国際的な利益、とりわけ支援する国の納税者の長期的利益になることが説明できなければ、長続きしません。円借款を出して道路や橋を建設し、その工事は日本の建設会社が請負い、建設資機材は日本のメーカーが輸出するというのも日本の経済利害を満足させますが、実際にそのインフラ整備が環境を破壊したり地域経済に貢献できなければ逆効果です。こうしたマイナス面も散見されることや、財政面での制約や不況から日本には「援助疲れ」という言葉が定着しているのです。

 より次元の高い、永続的な効果のある支援を構想していくときがきたと思います。投入路線偏重の経済援助からの脱皮、量から質への転換、二十一世紀に向けた新機軸をこのモンゴルから始めるべきだというのが私の提案です。


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