テロか、レジスタンスか?

2006.9.17
七尾清彦 記

1.テロとレジスタンスは紙一重

冷戦も終わりばら色の時代が到来するかと思いきや、メディアは毎日のように世界各地でのテロ事件の発生を伝えている。カラスの鳴かぬ日はあってもテロの無い日は無いといってもいいくらいである。

もとよりテロは21世紀だけの現象ではない。古くはローマ帝国に対する辺境部族の反乱、フランス革命後のジャコバン党の恐怖政治、20世紀初頭の赤色・白色テロなども、攻撃を受ける側からはテロと呼ばれた。「テロ」という言葉には、米国軍部が調べたところでは優に100を越す定義があるという。しかし定義にこだわっていては先に進めない。

要はこの言葉を耳にした瞬間、誰もが抱くイメージが一番大事である。「テロ」という言葉を聞けば誰でも「忌まわしい犯罪」だというイメージをいだく。誰かがこれを撲滅するのだといえば反対することは大変むつかしい。

しかし歴史をちょっとでも紐解けば誰でも判るように、立場によってテロリストなのかレジスタンスなのかが分かれる事例が山とある。フランス革命でのジャコバン党員やロシア共産革命での革命分子は、滅び行く王朝の立場から見れば反逆者でありテロリストだった。勝てば官軍、革命が成功すればみんな英雄視される。明治の元勲も、当時の幕府側から見ればれっきとした反逆者だった。米国初代大統領ワシントンも、当時の宗主国英国から見れば反乱集団の棟梁だったのである。

私はここでひとつの問題提起をいたしたい。連日、世界各地で起きている「いわゆる」テロ事件の数々は、犯罪として糾弾すべきテロなのか、それともそれなりに理屈のある抵抗運動(レジスタンス)なのか、ということである。オーム地下鉄サリン事件のような突発的で永続性の無いものはここでは視野の外に置くとして、今日伝えられる世界各地の破壊・暴力活動の多くはなにがしかの主張と組織と永続性をもって行なわれている。一般大衆の理解と支援なくしてこのような永続性をもった活動を続けることはむつかしい。

学生時代に習った憲法の講義では、悪政に向かって立ち上がる人間の抵抗権は譲ることのできない自然法上の権利である、ということであった。理屈は憲法学の教授が言うとおりであっても、現実には力と力の衝突という要素があり、紛争当事者のどちらが正義かという問題は、当事者の勝敗が決まるまでは曇りガラスの向こうに隠れたままである。

2.ブッシュ政権はテロと一点張り

9.11事件への咄嗟の米国社会の反応は「何というおぞましい犯罪か。これはテロだ。犯人を捕らえ正義のもとに報復・断罪すべし」というものであった。これ自体は反射的反応であり、至極当然のことだったと思う。ただ事件後すでに5年も経ち事の次第と背景がかなり見えてきている。にもかかわらず、これほどに複雑で多面的な事象を「テロ」という一語で依然、片付け続けているところに、米国のナイーヴさ、さもなくば大衆の支持を維持せんがための一定の政策意図があると言わざるを得ない。

ここで問われているのは、9.11やその後の諸事件が「テロ」なのか、それとも「抵抗運動」なのかということではない。これに答えようとすれば、立場によって答えが鋭く対立し万年論争になるだけである。歴史学者が後代、答えるべき問題であろう。今、問題とすべきは、米政府が事件当初の感情高ぶる時期はともかく、以来5年にもなるのにまだ9.11を「テロ」と単純に呼び続け、「反米抵抗運動」の側面に目をそむけている点である。メディアによる「テロ」という用語の洪水のような流布のお陰で、われわれは知らず知らずのうちに、事態の本当の実像に対し目隠しされているとも言える。

(わたしは、ナチスのもとでの第三帝国や当時の日本帝国が行なったことを正当化する積りは無いが、それらを全て人類に対する「犯罪」と一方的に決め付け、力を背景に断罪し、米国自らは正義の使者として振舞い続けていることに対しては重要な留保を有している。米国社会のこのような伝統的特質と最近のアラブ世界との対立は無関係ではないと思うが、本稿の主題ではないのでここでは深入りはしない。)

3.受け売りのメディア

ご承知のように、世界の情報社会は米国の資本・技術の圧倒的な支配下にある。米国のCNNやヤフーが流すニュースは世界を瞬時に覆う。米国政府が、9・11やその後の諸事件を「テロ」であり犯罪者だといい続けていることを受け、米国や各国のメディアは、用語や規定の当否をチェックすることなく、判で押したように「テロ」という用語を鵜呑みで受け入れて報道し、偏ったイメージを撒き散らしているのである。

メディアからの情報の受け手であるわれわれ一人一人は、これは「テロ」であり「犯罪」だと連日、報道で繰り返されれば、自然と「アラブ過激派の連中はけしからん、やっつけるのは正しい」という気持ちになりがちなのである。アフガンニスタンではビンラディンを隠しているとしてタリバン勢力に対して、イラクでは同国が秘密裏に核開発をしているとして、かつ、アルカイダとも連携しているとしてフセイン政権に対して、国連も認めない軍事攻撃をブッシュ政権は一方的に起こし、われわれ日本はこれに協力させられてきた。

もし日本のメディアが「アフガンやイラクで起きていることは、テロなのか抵抗運動なのか簡単には決め付けられない、慎重に分析し判断するべきである」との論調を維持していたとしたら、日本国民や政府の対応は独・仏同様、相当違ったものになっていたはずである。

4.安倍政権が為すべきこと

今なお、テロと言い続ける米国政府とは裏腹に、事態は反米レジスタンスの色合いを益々強めつつあるというのが現実である。このあたりに着目することが、どうやらこの根深い問題を解く鍵であるように思えてならない。私は自衛隊のイラク派兵に当時、強く反対した。小泉政権下で起きてしまったことは日本の戦後憲政史上の最大の汚点として記録されるほか無いが、大事なのは今後、日本がどうするかである。

時、あたかも自民党政権の首班交代が日程に上ってきている。ブッシュ政権は中間選挙での苦戦が伝えられ、大統領自身あと一年余の任期を残すにすぎない。米議会は選挙戦術もあろうが、イラクとアルカイダの連携を立証することはできないとの報告書を最近出した。米国社会の中にも、イラク戦を出口の無い泥沼と危惧する意見が勢いを得てきている。

アフガンやイラクでの戦争により、米国は全アラブ世界を敵に回してしまった。その後、燎原の火のように世界に広まっている破壊・殺傷事件は、このような政治情勢の変化を背景としている。「アラブ世界 対 米国ネオコン」の対立を一日も早く鎮めていくためには、米政府や米国社会を説得し、テロなのか、レジスタンスなのかは簡単には決め付けられないのだ、という複眼的思考へと仕向けていくほか無い。

後継首相に確実視される安倍晋三議員は、世界に対し日本として言うべきは言うと高言している。外政面で彼が就任後まずなすべきことのひとつは、このことについて相手の面子をつぶさぬ形で静かに伝え、この複眼的思考が理解されないのであれば、これまでのようには日本は協力いたしかねるとはっきり釘を刺すことである。9・11以来テロだと言い続けて来たブッシュ政権の耳には痛い話であろうが、外交では相手が聞き入れなくても言うべきことは言っておくことが、明日の日の為に大事なのである。

(了)


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