最近の芥川賞作品から見た日本社会の一断層

2004.春 千葉高士(米国 ワシントン在住)

七尾さんの新年随想「平成の信長・秀吉はまだか?」を興味深く読ませていただきました。論調の基本にあるものは、市民社会に対する温かい姿勢と前向きな評価にあるように思えます。日本の現状がこのような体たらくであっても、またその伝統が地政学的影響もあってかきわめてゲマインシャフト的特性を色濃く残していても、コミュニティーの中から自然発生的に革新の芽が芽生えてくる、現にその兆しが見え始めているという分析は、私のように現在の日本をやや冷ややかに見つめている者にとっては大変貴重なご意見と受け止めています。

私の意見は、分析と評価という避けて通れない研究のプロセスを経ない極めて直感的且つ感性的なものなので、参考に値しないと思い公の場に持ち出す事は差し控えてきておりますが、七尾さんからのたってのご要望でもあり、以下を掲載させていただきます。私自身は、最近の色々な問題に接していると、どうも日本の現代社会から魅力を引き出すことが次第に困難になってきているというのが正直な感想です。”故郷は遠くにありて想うもの”といいますが、このままでは日本への愛着が薄れてゆくのが怖いような複雑な心境です。

今年も例年のように芥川賞が発表され、2名の若い女性が受賞したのはご存知の事と思います。受賞作が掲載される文芸春秋は毎年欠かさず読んでいますが、最近の作品のレベルの低さ、というよりはそのヴィジョンの狭さ、またこの道の大御所とされる選者たちがこれら作品におもねるような評価を与えていることの恐ろしさ、これはただ事ではないという思いを強くしています。

多少の期待を持って今年も文芸春秋を日本から取り寄せて読んでみましたが、全くの失望に終わりました。中学や高校の文芸部でよく見かけるような作品に一寸毛が生えた程度で、人間の直感をアアデモナイ、コウデモナイと書き続け、それで文芸作品と勘違いしている作者の方は、まだ精神的にも未成年の域を脱していないので許せるとしても、その道一流と自他共に許している選者の皆さんの選評はどう読めばいいのでしょうか。

今の日本社会はどうしてこのように大人が若者に卑屈になってしまったのでしょうか。高度成長で顧みる余裕がなかった若者への懺悔なのか、その後の失われた10年で、それまでに潤沢に与え続けてきた若者へのお小遣いの原資が足りなくなり、頭が上がらなくなった所為なのでしょうか。一昨年の作品に対しては石原慎太郎氏が一刀両断していたのでやれやれと思っていたら、昨年のお粗末な作品にはもうこきおろす気力も失せたのか、通り一遍の評価でお茶を濁していたのにはがっかりしました。それでも彼は、遠慮がちに否定的というか揶揄的というか、多少大人の本音を覗かせていたのがせめてもの救いでしたが。

当地でも見られるNHKTVの日曜の朝の番組で高校生ぐらいの若者の座談会がありますが、正直に言ってこれを聞いていても、日本の将来にあまり明るい光が見えてきません。社会が力強さを復活するには、「心の中の不良債権処理」が必要なのだとつくづく思う昨今です。


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